白日朝日のえーもぺーじ

ブログタイトルほどエモエモしくはありません

アルコール依存症病棟で深夜眠れなかったときのこと

 この文章は小説でもないし、フリーハンドだからたぶん取り留めがない。精神病院依存症治療病棟の深夜三時、腰が痛くて眠れないからと、病室ではなく小さな明かりのつくホールでつらつらとポメラをいじりながら書いているものだ。病室で書けば良いだろうという向きもあるが、四人収容の大部屋で個人用に点く明かりは結構に明るすぎる。明るすぎるということは、同室のひとに迷惑がかかるわけで、ぼくはそういうのが嫌だ。
 さて、「夜間帯の病院」というものをイメージしたとき、入院エアプのひとはなにを想像するだろう。
「気の狂いそうな静寂」とか「恐くてとても冷たい空間」とか、そういったものを想像するだろうか?
 結論からいうとそのどちらもない。
 共同生活もすれば、院内では常に空調を一定に保つ必要がある。医療機器だって回す必要があるんだから、静寂なんてのはほど遠い。
 現在自分がいるのは精神病棟だが、総合病院で入院していた頃はそれこそうるさかった。病棟によりけりかもしれないが、深夜帯の総合病院はまあうるさいものだ、生命維持のぴこーんぴこーんやらが大体鳴っているし、身体の病で集まると、同じ病室の患者さんがいびきをかく比率なんてそこいらの共同生活より高い。ときおりと言わずちょいちょい重病者が死ぬし、時には誰かのすすり泣きが聞こえる。
 精神病院、わけても依存症病棟の夜はまだ良い感じ程度の静けさで、あといい感じの空調が効いて過ごしやすい。鳴る音もトイレの音か、夜食にカップ麺を食べるひとの音くらい。運が悪ければ同病のひとのいびきにあたるかもだが、ギャンブル依存症の入院患者なんてのはそこいらの健康体より健康体で、下手したら相当に理知的(賭けできちんと儲けようとするタイプもいるし)で、先ほど言ったとおりいびきに出会う確率は低く、されとてそれほど静かすぎるほどではない。深夜四時にポメラをいじっているバカもいる。あと、またうるささ方面についての話だが、やや気の狂った一般入院のひとも、夜間は眠剤を飲んだりしておねむだ。昼間みたいにガンガン壁叩いたり奇声を上げることもない。ましてやそんなどたばたについてもそう昼間多く繰り広げられるわけではないのだが。
さて先述の「気の狂いそうな静寂って」なんだろうかと思いを馳せる。暇つぶしなのだ、許してくれ。そんでまあ答えが出るのは速い。閑静な住宅街に建つ一軒家の夜間帯がいい。もちろん同居する家族ががいない、という前提であるが。
 さて、話は飛んでまたアルコール病棟の話に戻る。
 言葉にして面白いのは入院患者だろうと思うけれども、たぶん、一般生活で出会うひとのほうが浅慮だったり、優しくなかったりするし、あとぼくの前職である音楽スタジオのお客さんなんかのほうがよほど気が狂っとる。アルコール病棟の入院患者さんはグラデーションある程度あるが、往々にして結構優しい。ちょっと変なひともいるがたいていは優しいものなのだ。この手の依存症患者に共通していえるのは、「生きづらさ」があることだ、全員が全員というわけではないが、少なからず「酒を飲まなければどうにも立ちゆかなかった日々」というのを持っているひとが多い。そうして残念だと思っているが、ぼくはたぶんその手合だ。たぶん、アル中患者のなかでも特に強いっぽくて、運転での免停やら免取り食らったこともなく(これはアル中患者だとすごく多い、一方でぼくはゴールド免許だ)、奔放な恋愛遍歴とかをしたこともなければ、酒の席での殴り合いに奇行やブラックアウト(意識を失う)などもない、酒席は嫌いだし家でひとりで飲んで、ほどほどに眠くなったら眠る暮らしをしていたら、いつの間にかアル中になっていた。酒に関する問題も体調を崩すとか、友達との約束を体調で反故にするとかで、まあ場違いなときに酒臭さえしてなかったら、そこそこの一般人より静かなひとのほうだと思う。胸張って言える(胸を張るな)。
 そんなぼくからひとつだけ言えることがひとつある、毎日程度お酒を飲む程度の素養があるひとは、ストロングのチューハイに関しちゃさっさと手を引け。あれは嗜むタイプの楽しみ方がしづらいので、ていのいい薬物だと思う。もう一回言うけどストロングのチューハイはよしとけ、「酔えればいい」でいきつくタイプの酒で、昔のアル中のイメージのカップ酒とか、取っ手のついたでけえポリ容器(量をリッターで計るやつ)のアレと、飲み方の実においちゃそう大差がない。
 酔えればいいで飲む酒は、甘かろうがなんかのフレーバーがしようが、まあ正直なところまずい。アルコール依存症という診断を受けたことがないひと、なんとなくその気があると思うひとはたしなめる程度の度数と飲み方にさっさと戻った方がいい。週の飲酒頻度は多くて4、眠くなるまでの飲酒はしてはいけない。アルコール度数は6%くらいまででリッターほど飲んではならない、まあ、たまあにだけ潰れるくらい飲んでもいい、けどそのたまには週一回とかそういう頻度で起こしちゃだけだ。
 さて、やはりこの文章はフリーハンドなので話がまた飛ぶ。
 ルゥシイさん及び白日朝日の動向について勘の良いかたはお気づきのことだろうけれど、このところ入院入院などとかしましかったのは、八割方アルコール依存症にまつわる入院である。令和二年五月の退院で二回に分けて計五ヶ月、自分の足と連絡依存症病棟には入院したが、まあ明るく振る舞ってもつらいときはつらい。
 ひと嫌いで、酒席嫌いで、ひとを害さずまったりとアル中になるのはなんか悔しい気がする。酒で記憶飛ばして乱闘騒ぎのひとつでもしておけばよかった。
 そもそも根本からしてぼくはお酒は好きじゃないのだ。でもアル中になるのは意外とそのところ関係ないのでそれが本気でやっかいだ。
 もうすぐ退院なので、退院後に優しい声をかけてくれる方がいたらうれしいな(自分勝手なもんだけど)。ああ令和、五月八日、眠れない日の二時間強での文章ぺらぺらは結構進むのに、小説がこれまたうまく書いたりできない。依存症治療で酒が抜けてもうまく小説が書き上げられないので、ぼくの小説の不調とアルコールに具体的な関連性はないらしくて残念。たぶん、せいぜいが百合っとした小説にやたらと世代のずれたプロ野球に関する喩えが頻発するとかだ。
 一応、入院生活中も小説のプロットはがっつり書いたりしていた。ざっと数万字は書いたはずだが、結局Twitterでふぁぼ乞食しても本編書き上がり見込み薄くてどうにもこうにも申し訳ない。ああ、なんかアルコール病棟についての話をしたいのに小説に関する愚痴のほうが出てしまう。なんかムカついてきた。もうすぐアルコール病棟の夜が明ける。
 そろそろ患者がホールに起きてきやがった。愚痴(になってんのか分からんかわからんこのつれづれも)ももう終わりだアディオス。