白日朝日のえーもぺーじ

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アルコール依存症と退院後の生活

 先日、新型コロナウイルスによる肺炎で志村けんさんが亡くなったと報道されましたが、他方で、志村さんは大酒飲みとして2018年には肝硬変と診断を受けています。

 肝硬変とまで診断を受け医師にもこのままでは「ガンになる」とまで言われたものの、千鳥の大悟さんなどと多いときで週4飲みに行っていたようで、身体への大きな実害があったのに飲酒をやめない、休肝日を置かない飲酒生活など、充分アルコール依存症の診断基準にかかっていたのではないかと個人的に推察しています。酒が志村さんを殺したとまでは言いませんが、2016年に肺炎になるまで一日三箱吸っていたとされる長いヘビーな喫煙生活をされていたなど、肝臓へのダメージなど非常に免疫力の低下リスクが高い生活をされていたようです。新型コロナウイルスによる肺炎は直接的な死因だったとして、遠因はその生活習慣だったいうのは、メディアで報道もされているところだと思います。

 危険な飲酒生活というのは非常に寿命を下げ死に近づけます。依存症病棟でも、飲酒による食動静脈瘤破裂で死の淵まで数度いった方の話を聞くこともありました。

 自由に飲める環境というのは、アルコール依存症者に対して非常にリスクが高いことは覚えておくべきことだと思います。

 これまでアルコール依存症の入院生活について記事に書いて参りましたが、当然ながら入院あれば退院あり、実生活がある以上、退院後の生活というのが本分となります。

 アルコール依存症というのは現状、完治させる薬や療法というものはなく、慢性で「完治しない病気」とされています。一度依存症になりコントロール障害になった脳は、「たくあんは大根に戻れない」「坂道を手放しに転がるボール」などの喩えで不可逆性を表現され、ひとたびまたアルコールを摂取してしまうと、治療前と同様に様々な問題飲酒を起こしてしまいます。

 ただ、完治しない病気であることに絶望的な響きはありますが、完治のない病は世には多く存在しており、そして同時に、一度アルコール依存症者になった患者でも、回復して一般的な生活を送る、あるいは自身が依存症者になる以前よりも充実した生活を送ることができるようになった先人というのが多く存在します。

 ただ、一方で再発・スリップと呼ばれる依存物質の再使用(再飲酒を筆頭に)が特に多いというのも、この病気の症状ではあります。当ブログでも数度紹介した故吾妻ひでお氏の漫画にも登場しますが「入院○度目」、という患者は非常に多いです。筆者も現在は安定した断酒生活を送っていますが、二度目の入院までは行っており、筆者の入院時代も筆者の入院中、退院後に出戻りした患者さんを見ることや、自助グループで出会ったかつての入院患者さんが、再入院するというのも見てきました。

 退院後の生活がなぜ危険かは言わずもがなな話ではありますが、入院中というのは基本的に外出外泊時のアルコールチェッカーが必須とされ、酒類の持ち込みに関しては持ち込み品のチェックなども行い厳しく禁じている環境のため、少なくとも病院施設にいる間に飲酒するということはございません。入院中というのは「絶対に飲酒できない環境」とまでは言いませんが、日常生活よりかなり厳しく飲酒に対して制限がかかります。
 入院中の患者さんが定番のように言うのは「今は飲酒欲求がない」という言葉なのですが、入院することで激しい飲酒を行っていた生活から引き離されたことによって、脳の欲求が軽くなったことは間違いないものの、それに加えて厳しい制限環境というのが大きく庇護的になっており、この言葉が口に出されます。
 しかし、病院の外を離れるとその厳しい制限環境はなく、行動は個人に任されると言っていいでしょう。なんにせよ自由で、簡単にかつて酒を買ってきたスーパーやコンビニにも足を運べますし、かつての飲み仲間というのがいれば簡単に飲み会の連絡が取れ、またアマゾンで酒類販売されていることにより、ボタン一本で外に出ずともお酒を飲む環境に戻ることが可能となっています。

 そのため、退院後の再発を防止する意味で重要なものが、継続的な外来診察や、土日以外毎日病院等の施設で行われるデイケア、各地で行われる自助グループの例会やミーティングなどになります。アルコール依存症自助グループ例会やミーティングがない都道府県はないとされ、検索すればすぐに各地の会場が見つかります。
 とにかく自助グループに赴くことで重要なのが、自身がアルコール問題で苦しめられたことへの継続的な自覚や、アルコール依存症に理解のある仲間の発見や、またそこから数十年と断酒し回復して良い日常を過ごしている先輩を見つけて今後の生活に希望を覚えたり、問題飲酒中できなかった「飲んでしまう時間」の代替でしょう。多くの自助グループの例会は、社会人の仕事などが終わってアフターの時間になる19時辺りに行われることが多く、晩酌などの飲酒傾向があったひとにもちょうどよく、飲んでいた時間の代替になります。

 通院やデイケアに通うこと、自助グループなどへ赴くこと全てにおいて言えるのですが、「継続的」であることとアルコール依存への理解がある他者に顔を合わせることが重要になります。飲んでいない自分のセルフチェックであり、他者の目によるチェックでもあるというのは、一日一日飲まない生活を続けてゆくことへ大きな武器になります。

 しかしながら、そこまでやっても再発というのは起こりえます。不意に起こるストレス案件や発作的な飲酒欲求の沸き立ち、その瞬間というものは「通院」「デイケア」「自助グループ」その全てが効力を持ち難く、病院や自助グループで出会った先輩へ連絡を取り、「今、飲みたくなっている」と伝えて、アドバイスを受けたり直接駆けつけてもらうくらいしかその手を止めるための方策はないと言えます。
 アルコール依存症の二大自助グループである断酒会、AA(アルコホーリクス・アノニマス)ともに「お酒に対する無力」というのを語り、手にとったお酒を意志力でおくことはほぼ無理といえ、今その手にしているアルコールは強烈に再びの問題飲酒に依存症患者を運ぶものです。

 ただ、一日一日お酒を飲まないことに対する回復への効果は高く、ひとによりではありますが飲酒しない時間の過ごし方や精神の安定に身が慣れてゆきます。
 また、長期的なアルコールによる脳萎縮というのも、断酒生活によって回復していき、それにより前頭葉機能が改善することは研究結果として報告されています。前頭葉というのはつまり行動抑制のための機能を持ち、それが回復していくとなると、飲酒行動に対するブレーキが随時向上するになります。飲まない生活というのはそれそのものが飲まずに済む身体にしてゆくのです。

 退院後の断酒継続を行い続けることがいかに簡単でなくとも、断酒継続への武器は多くあり、なおかつ、断酒生活そのものがアルコール依存症者への強力な回復への支えとなります。そのため、継続的なサポートを受けていくことこそが断酒を楽にしてくれるのです。
 繰り返す再飲酒は心身を大きく蝕み、身体的なものや精神的なもの含めて死へ向けた負のスパイラルに取り込みますが、断酒の継続は楽な断酒生活や依存症前以上の充実した実生活への良いスパイラルに身を置くことができます。依存症者であろうとなかろうとどちらが良いかは言わずもがなです。
 ただ、断酒継続することを至上命題のように思うことはまたストレスにつながりますので、「一日断酒(断酒会)」「二十四時間の方法(AA)」という、「なんでもいいからその日一日お酒をやめる」という気楽な考え方、それを為すことによる成功体験の自己肯定感はさらに依存症患者を助け、ますます依存症から遠ざかることができるでしょう。

 まとめていえば、退院後というのはアルコール依存症者にとって自由にお酒が飲める環境で危険ながら、継続的な断酒を支えるバックアップは多くあり、その断酒自体が断酒を楽にしてくれます、そして「一日断酒」の考え方は気楽な飲酒継続の一助となり、依存症者を回復させてゆきます。

 というわけで、なんにせよアルコール依存症者の退院後の生活は、健康リスクとの戦いであり、健康的で一般的な生活に比して非常にめんどくさいといっても良いものとなります。そうなりたくない方は、楽しく飲めて自分の意志でお酒の手が止められるうちの飲酒生活にしておいたほうが良いと思います。

『元アル中』の有名コラムニストである小田嶋隆さんの著書に「グラスの底にはなにもありません、グラスの底になにもないこともまた飲む理由になりますが、飲む理由になる全てのことは、お酒を遠ざける理由になります。」という一文がありました。

 この一文に対する文脈理解とは多分ずれてると思うんですが「飲むこと」と「飲まないこと」は本来表裏にあって、簡単に選べるものなんですよね。そこの価値感覚優先順位ががらっとかわり、自分ではない別の人間が操縦しているとまで言われるのがアルコール依存症です。そうならないためには……もう言いませんね。

 小田嶋隆さんの著書『上を向いてアルコール』は非常に読み味が良くて、アルコール依存症やそうなった依存症の実生活や回復にまつわる感情変化について非常に理解しやすいものとなっています。興味のある方はぜひご一読を。

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白

  • 作者:小田嶋隆
  • 発売日: 2018/02/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)