白日朝日のえーもぺーじ

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『ねらわれた学園』について

 原作もそこから派生するドラマ等についても詳しくない俺はアニオタとしてかくあるかといった具合に劇場アニメ版のそれを今更ながらに初めて観た。その開始十分ほどの感想がこれだ。(メモとった)

「劇場で、見てえ」

 正直な話、色々な部分でなめくさってたこともあり、開始数分は部屋で観るときも(40インチのテレビだけど媒体DVDだし)画面サイズも意識しねえくらい適当な見方をしてた。

 けれどすぐに、こりゃあ、煌々と光る明かりのもとで観るアニメじゃないと思い、部屋を暗くした。

 そうして観たこのアニメの第一印象は「やりすぎた新海アニメか」という質感だった。光源に対する反射に、プリズム的な色彩を持たせて美しく光を見せるその手法をもっと派手に見せるような作品だと思った。明かりを画面内から発する映画、だからこそ明かりのついた部屋で漫然と見るのはなんとも躊躇うわけである。

 こういう映像スタイルを用いたアニメーション作品は数あるが、その中でも手の込んだ部類に属するのが本作だと思う。変な言い方だが、派手な光の演出を一時間半以上やり切るというだけでも既にかなり大きな労力を使う作品であろうに、キャラクターの動きもかなり高いレベルでよく動く。アニメ映画としても結構上位のランクに入るくらいキャラクターは細かく多彩に生き生きと映像の中を動きまわる。この点についてはいちいち動くといってもいいくらい細かくて、またそういうところが個人的に好きだったりもする自分としてはなんともたまらない映像作品だった。

 シナリオについてはちょっとした不思議要素とミステリー的な不安の煽り方をしつつも割と単純な四角形の恋模様を描いていて、それが映像美と上手くマッチしていたかなという感じ。ちょっとお前女の子の気持ちに鈍感すぎんだろ―と言いたくなるような関くんですら可愛くみえるのは、映像美によるところもあっただろうなと。

 基本的にはある程度デウス・エクス・マキな筋書きなのでメインテーマに感心しつつもそれほど深く物語を読み解こうとしない方が楽しいのかなと個人的には思う。クドいくらいの映像美によって描き出される、ちょっと詩的にすぎるかもしれない四人の少年少女による切なくもかわいらしい恋物語に身を任せて観てみるのが個人的なオススメだ。

 アニメ映画は『おおかみこどもの雨と雪』以来だったが、『ねらわれた学園』もとても楽しめた。こちらの作品、ぜひとも青いえんばんを購入して大画面で観ていただきたい。

『ガタカ』について

 久しぶりに面白い映画を観た。

 誰に読ませるという意図もないサイトなので、映画の詳細を紹介するつもりはないけれど、技術進歩が近未来の社会に与える影響というビジョンを分かりやすく見せつつ、そこから作品主題へと絡める手際というか図式の提示の上手さが実にSF作品らしくてよかった。

 遺伝子によって決定論的に扱われるひとの優劣を超克して、「そこに辿りつくことは不可能」と言われ続けた未来へと辿りつく人間の話……というと難しそうな話に聞こえるのだが、いざ作品を見てみると驚くほどすんなり受け入れられる。ひとつひとつの設定やテーマが、きちんと選ばれたモチーフによって分かりやすく描かれていくのだ。

 たとえば、「『誰かの言う不可能』は不可能じゃない」という認識をヴィンセントに与えることとなる弟アントンとの度胸試しの遠泳も、土星(というか衛星のタイタン)に行きたいと願うヴィンセントの夢もそうだが、見ていて聞いていてとても分かりやすいもの。

 そして、その分かりやすさはキャラクター配置というかそれによって形づくられるテーマ図式にも見て取れる。

「ヴィンセントにとって遺伝子で語れば全く勝ち目のない弟」が超克すべきものとして最後まで立ちふさがってきたり、「成功を約束された遺伝子を持つはずが銀メダルしか獲ることが出来ず、自殺も上手くいかずに車椅子生活となったジェローム」が主人公に遺伝子情報を渡すと同時に彼の夢を受け取ったり、「ヴィンセントと同じく心臓に爆弾を抱えるガールフレンド」がヴィンセントを理解してくれたり、メインキャラクターの配置についてはほとんど一切無駄なく構成されている。

 そしてこの構成から描き出されるヴィンセントというひとりの男の物語は、宇宙に還る(別に死んではないが)という一種の祝福で閉じられることとなる。

 面白いのはヴィンセントの目的であり彼の属するガタカという組織の悲願でもあるタイタンへの航行について、驚くほどその中身が示されていないということだ。「タイタン」に行くことによって組織にとってなにがあるかとか、ヴィンセントにとってその場所自体がどういう意味を持つか、タイタンに行って具体的になにを行う予定であるか、そういうことが示されない。

「辿りつきたかった宇宙」というのはヴィンセントの目標そのものであるが、それ以外のものはなく、そこにあるのは遺伝子に支配された地球から離れたまっさらな未来であり、だからこそこの作品はタイタンに到着した彼の話で終幕としなかったのだろうか、などということを思う。

 彼の欲しがり続けた未来が、現在になる前に。

 

追記

 ジェローム(ユージーン)の最期に関してだが、ヴィンセントが夢を叶える姿に胸を打たれ、全てを託し、思い残すことがなくなったから死んだというような感傷的な話ではなく、優秀な彼の遺伝子が「この場合、足手まといとしかならない自分が死ぬ方が最良だ」と判断してしまい、その結果死を選ぶというシニカルな構図をとった可能性のほうが高そうだと作品を振り返りながら思った。