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映画『ジョーカー』感想

 さて「ジョーカーは俺だ」って言い出す観客は厄介だが、こんくらいハマる受け手ほど楽しめる映画なのは間違いないし、俺はといえば「ジョーカーは俺だ」勢のひとりである。
 この作品を観た翌日に、「俺はジョーカーだ……」と職場や教室の隅でぶつぶつ言っているひとがどれだけいただろう。ヒット作ではあったし、アカデミー賞にも刺さったので結構な人数にのぼったんじゃないだろうか。とかく、その種の感情移入を呼ぶタイプの作品であったし、ひとりの人物を描くサスペンスドラマとしても優れていたと思う。

 バットマンシリーズでも非常に人気の高いヴィランである「ジョーカー」にスポットライトを当てて制作された映画。と言うと、悪役視点で描かれつつもアメコミアクションに仕上がる印象を持つかもしれないが、実際にはサイコサスペンスと人間ドラマみたいな内容に仕上がっている。
 自分といえば映画のバットマンシリーズは『ダークナイト』大好き程度で、前後のノーラン監督作品を視てあとは虫食いだし、原作のコミックシリーズはほぼほぼ読んでいないという事前知識なものの、この『ジョーカー』は作品全体のまとう雰囲気が非常に張り詰めており、それだけで一気に観れてしまう支配力があった。
 「派手なアクション作品」でもなく「謎が謎を呼ぶ正統派ミステリー」でもなく、当然ながら「夢のあふれるファンタジー」でも「SF的なフィクション」でもない。それでも、ひとりの人物に焦点を絞ったサスペンスドラマで約二時間の上映時間を素晴らしく仕上げた制作陣に感謝という感じである。
 人間の狂気を描く作品というと、本当にぶっ飛んでいるというか常人に理解の及ばぬ超人的な狂人的描きかたをされるか、ひとには誰しもそういう狂気に陥る側面があるみたいな描きかたをされるようなものだと思うが、そういうスペクトラムのなかでもこの作品はかなり後者寄りの見せ方がなされており、観ていても主人公であるアーサーに対してかなり強く感情移入させられてしまう。
 有り得る誰か「アーサー」と、そのアイコン的な側面である黒いカリスマ「ジョーカー」が、多重人格的というよりはかなり地続きにされているのも面白い。

 ただ、この作品、いわゆる精神異常者でもあり妄想癖や幻覚見ちゃう「信用できない語り手」を主人公にしてあるため、どこまでが作品内の事実だったかどうかは微妙に判別がつかない。
 確実に事実であろうピースだけを集めると、主人公アーサーは「精神疾患持ち」「虐待された過去を持ち」「カウンセラーにかかっている」「コメディアン志望」「母親と貧しく実家暮らし」「作中で無職になる」くらいになる。
「アーサーはジョーカーである」「アーサーはトーマス・ウェインと血縁にある」「アーサーが五名以上に及ぶ殺人を犯した」というのが事実であったかさえかなりあやしいラインになったりするけれども、あくまでもアーサーあるいは誰かの「ジョーカーとしての目覚め」が骨子なので、それさえあれば、作中のほとんどの事実自体は割とどうでもよくなるといえるかもしれない。

 さてこの作品の魅力はなにかというと、やっぱり人物描写や主演のホアキン・フェニックスの鬼気迫る演技になるだろう。とかく、「アーサー」と「ジョーカー」というキャラクターに素晴らしく存在感や説得力があって、劇中約二時間、そこを魅せ通せたのがすごい。
 作中を貫く「次の瞬間なにが起こるか」というヒリつき張り詰めた雰囲気も、ミステリー的というよりはこの人物描写あってのことだろう。

 上映後の評判を軽く目にした感じだと、「傑作」と評したひとと「期待はずれ」と切ったひとで極端に分かれたイメージだったが、観てみると納得の好みとか趣味で評価分かれるだろっぷりの作品だった。とはいえ、見ていられないような悪趣味さはなく、撮影や演出とかそういったところの不出来さがある映画では全くないため、あらすじにある「戦慄のサスペンスエンターテイメント」というのが見たいひとなら割と素直に楽しめるはずだと思う。一家で楽しむとかデートムービーではないかなあ、という感じ。せっかく応援上映がブームなので、上映中ぶつぶつ呟いたり、不随意的に笑いの発作をしたりしながら応援上映してもいいんじゃないだろうか?
 とにかく、視聴後すぐにもう一回観たくなる質の作品なので、劇場の映像音響で観るのも良いけれど、ひとりひっそり盤なり配信で観るという楽しみ方が個人的にはおすすめかもしれない。

 ヒット作は充分ヒット作とはいえ、「ぼっちで陰キャ中二病なボクやらキミのため」かもしれない傑作映画であったと思う。

 皆さん、お休み。そして最後に……「これが人生」。