白日朝日のえーもぺーじ

ブログタイトルほどエモエモしくはありません

この話やっても仕方ねえなという話

 例えば同じものを好きな誰かと話をしているとき、なんとなく意見がズレていても、それが説得力や論拠あって反対する理由もなければ、「良いじゃん」とか「そうだねえ」とか言って聞き手に回ることがあったりしませんか?

 そんな今回は珍しく世に問う雰囲気ではじまった序文なのですが、ズレてるなと思うことに肯定で一応流す瞬間はあるもので、まあ大体においてそんなものは言ったあとまあまあ死にたくなるわけです。死にたくなるけれど死にはしないのはそれなりに調和しておこうという、結構むずかしい心の弱さです。

 好きなものへの感情の強さというのは完全にひとによりけりと言っていいもので、思いの強さも感じかたもよりけり、創り手側の意図があっても、それは読み手の解釈と一直線ではないわけですね。ただ、やっぱり熱狂というものはあるもので、好きなものに対しては感情強く当たる言葉を使いがちなところはあるわけです。

 

 嫌な話をすると、そういうときにぼくは「逃げる」リアクションを取るのですね。好きが集まっても嫌いが集まっても、強い言葉の集まる場所を苦手とするというか、一応、エロゲ好きだとかアニメ好きだとか自負しているもののすっ飛ばしている、「ど」メジャーな作品というのはあとを絶ちませんし、2000年代からエロゲやってきて未だにいっさい『Fate』シリーズ触れていないやつです。
 自分自身の触れなかった理由は初期のほうだと「漫画でやれい」みたいな気持ちだったのですが、GO含めてシリーズが長く存続しちゃったので、いよいよ可視化された人口がデカそうな状態だと、シンプルにもうよく分からん的な感じになるのでなにも言わないでおこうみたいになるわけですね。

 そうしてここまで言って気づきましたがお話が盛大にズレています。
「好きなもの」と「言葉の強さ」と「ファンコミュニティ」の話をしようと思ったのですが、これって好きな作品に関して目に見える限りで自分の解釈しやすいレベルにおさまっているとすごく気持ちが良くて、ある種の幸福感で空飛んでる感じで言葉を拾うわけですね、自分とは違う意見が飛んでも「なるほどな~たのしいなあ~」というノリです。良いかどうかはさておき批判性のある言葉にもけっこう納得して見ちゃう的なところはあります。

 そうしてまあ、別に反論する気はないので「おもしれえなあ」と聞いて終わるのが自分なんですね。
 それ自体は良いのかも知れない、楽しんでいるひとの別角度の意見を楽しんだ。事実そういう感覚がけっこう強くて、時にそう受け取っているつもりで「違うよな」って気持ちを高めることもあって、そういうときにあとからただ批判する言葉述べるのって見た目ただの文句になるよなあとかいろいろ考えてなにも言わないってことを選んだりします。
 その結果、クソみたいなこと書いて終わる自分がいるわけですね。

 これ別に言って俺なんの得もしないけれど、物をいうときの葛藤と愚痴の話です。

 そんでこの話は書き出しのテーマと内容がズレています。